ジャン=フランソワ・ミレー
「落穂拾い」1857年
ミレーは19世紀のフランスの画家で、写実主義(しゃじつしゅぎ)でバルビゾン派の画家と言われます。
写実主義とは、現実を美化したり、対象を抽象化したり、歪曲したりせずに、ありのままの姿を客観的に捉えようとする主義の事です。
代表的な画家に、ギュスターブ・クールベやドーミエなどがいます。
複数の絵の具を混ぜると、混ぜた分だけ絵の具が重なっていくので、通常は黒い色に近づいていきます。
しかし、自然の世界では、色を表す光が混ざると、重なった分だけ光が多く当たる形になり、白い色に近づいていきます。
こうした相違から、写実主義絵画の技法では、ありのままの世界を表現する事が出来ないと考えられるようになっていきます。
そして、パレットの上では絵の具を混ぜない光学的理論を取り入れた筆触分割(ひっしょくぶんかつ)という技法が生まれ、後の印象派へと繋がっていきます。
ルノワールが「陽光のなかの裸婦」の中の裸婦の肌の上に紫色を散らしたのは、典型的な筆触分割と言えます。
また、バルビゾン派とは、1830年から1870年頃にかけてフランスのバルビゾン村に画家が滞在や居住し、農民の姿や、自然の風景画を描いた人達を指します。
フォンテーヌブローの森が風景画の画題として着目された事などから、フォンテーヌブロー派とも呼ばれます。
ミレーのエピソードとして、美術商に彼が売った裸体画が店先に飾ってあったのを2人の男が眺めている現場に出くわし、1人の男がもう1人の男に、「この絵を描いたミレーってどんな男だ?」と質問すると、「いつも女の裸ばっかり描いて、それしか能のないやつさ」と答えたのを聞いてショックを受け、二度と裸体は描かないと心に決めたと言われます。
「落穂拾い」の絵は、オルセー美術館が所蔵しているミレーの代表作です。
この絵は、フォンテーヌブローの森のはずれにあるシャイイ農場が描かれていて、刈り入れが終わった後に残った麦の穂を拾い集める3人の貧しい農婦が描かれています。
旧約聖書の「レビ記」に定められた律法では、畑の持ち主が回収出来なかった落ちている麦の穂を拾う事は、自らの労働で十分な収穫を得ることの出来ない寡婦や貧農などが、命を繋ぐ為の権利として認められた慣行になります。
また、「落穂拾い」は旧約聖書の「ルツ記」に基づいた作品だとも考えられています。
「ルツ記」はモアブ人女性のルツの物語で、異邦人であるルツがダビデ王に至る家系の中で、重要な役割を果たし、ユダヤ人にとらわれない神の意図の壮大さを示すものだと思われます。
未亡人となったルツが義母のナオミを養うために、裕福な遠縁の親戚ボアズの畑で落穂拾いを行い、年老いた姑を見捨てなかったルツに感心したボアズが便宜を図り、ルツを正式な妻として迎えます。
ルツの息子がダビデ王の祖父にあたるオベデになります。
優しい心を持ったルツの行いを見届けた神様が、ルツに幸せを齎したという物語です。
ルツは日本正教会ではルフィと表記されます。
ルツ記はたった4章しかなく、旧約聖書で最も短い書ですが、聖書中、最も美しい物語の一つと言われています。
ミレーはこの絵画の中に、崇高な人間の精神が持つ美しさを込めたかったのだと思われます。