ハンス・メムリンク
「最後の審判」1473年
15世紀のフランドルの画家でハンス・メムリンクという画家がいます。
フランドルはフランドル伯が支配したオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域のフランス語由来の呼び名で、英語由来ではフランダースとも呼ばれます。
今回、紹介するこの絵画のタイトルである「最後の審判」とは、新約聖書のキリスト教用語で、世界の終わりにイエス・キリストが再び現れ、永遠の生命を与えられる者と、地獄に堕ちる者とに分けるという「神の裁き」を表します。
「最後の審判」を題材にした絵画で、最も有名なのはバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の祭壇に描かれたミケランジェロのフレスコ画ですが、私はハンス・メムリンクの作風の方が、分かりやすく描かれていると思います。
中央の上部には、イエス・キリストと両脇に12使徒が描かれ、キリストから見て「右」は「百合」、その先に聖母マリアが描かれています。
「左」には「赤い焼けた剣」が描かれ、その先に洗礼者ヨハネが描かれています。
洗礼者ヨハネは、神の審判が迫っている事を人々に説いて、悔い改めの証として洗礼を行っていた人物で、イエス・キリストも最初、彼の教団に所属していて、洗礼を受けましたが、ヘロデ王の娘サロメの願いにより斬首刑に処されます。
ヘロデ王が兄弟ピリポの妻ヘロデヤを娶った事を良くないとヨハネが言った事をヘロデヤが恨み、娘を使って死に追いやったと言われています。
イエスの宣教に先立つ重要な預言者で、絵画では、聖母マリアと対に描かれる人物です。
不幸な最後を遂げましたが、イエスの名が知れ渡った時にヘロデ王は「洗礼者ヨハネが生き返った」と言われました。
ヨハネはヨルダン川のほとりで、人々に「悔い改めよ」、「心の向きを変えよ」と訴えました。
善と悪の間にいて、どちらを選択するべきか葛藤し悩む人々に善を選択する決断を迫った人物です。
「左」(悪)を選択するものへの最後の忠告の意味があるのかもしれません。
そして中央には甲冑を身につけた天使ミカエルが秤によって、善人と悪人を区別しています。
キリストから見て「右」に天国に通じるゴシック建築の教会が描かれ、善人を誘導する鍵を持つ赤いマントの男性がバチカンの礎となったペテロになります。
「右」を選択したものには永遠の命が約束されると言われます。
キリストから見て「左」は悪魔の棲む地獄で、永遠の業火に焼かれる事を意味します。
日本では火葬が義務付けられていて、99.93%と世界最高の数値となっています。
お釈迦様が火葬された事と、信者数の多い浄土真宗などで火葬を推進してきた経緯もあるものと思われます。
お釈迦様が火葬を望まれたのは「輪廻」(りんね)を否定したからで、生への執着を断ち切るものと考えられます。
日本ではこの死生観から「禅」(ぜん)の思想が発達し、「剣禅一如」(けんぜんいちにょ)の武士道(ぶしどう)が生まれてきました。
一方、アメリカやヨーロッパでは70%前後が土葬とされています。
イスラム教でも、火葬と焼身自殺は固く禁止されていて、処刑される場合でも火に焼かれる事はなく、それは「最後の審判」で復活の時に肉体が無いと復活出来ないと信じられていたからだと思われます。
どんな罪人でも、それを裁くのは神であり、その権利だけは保証されているわけです。
イスラム教徒のアフガニスタンの首都カブールでは女性が聖典「コーラン」を火で焼いた事で、群衆から殴る蹴るの暴行を受け、体に火を付けられたうえに、橋から川へ投げ落とされ殺害されるという事件まで起こりました。
火で焼いたというのは、この女性は、復活する権利も必要がないという最大の軽蔑の意味があるようです。
アラビア語で「火」の事は「ナール」と言い、「地獄」という意味があるそうです。
日本の神話では物部氏の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と、秦氏の伊弉冉命(いざなみのみこと)が夫婦なのですが、伊弉冉命(いざなみのみこと)が火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)という「火」の神様を産んだために火傷を負い亡くなってしまいます。
秦氏が「火」によって無くなる「水」を表したのだと思います。
「右」を英語で「right」と書きますが「正しい」という意味があるのは、この「最後の審判」から来ています。
「左」は英語で「left」と書きますが「残された」という意味があり、天国に入れなかった事を表します。
このように、西洋では「右」が上位で「左」が下位になります。
日本の神話で天照大神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の左目から生まれたとされ、「左上右下」(さじょう・うげ)と言い、「左」が上位なので西洋とは逆になります。
天照大神は太陽神であり「火」の神様なので、業火で焼かれても痛くも痒くもなく、問題はないのかもしれませんが…
日本の神話を作ったと思われる藤原氏が右目から生まれた月読命(物部氏)と深い関係である事から、おそらく、キリスト教の「右」と「左」の意味を知っていて、天照大神は秦氏を表す神様なので、わざとキリスト教の反対である「左」に天照大神を置いたのではないかと思います。
司馬遼太郎も「兜率天の巡礼」で、秦氏はネストリウス派のキリスト教徒の可能性があるのではないかと指摘されていて、私も、日本人は大陸を渡ってやって来た渡来人の国で、その文化や民族性を考えると、その指摘は間違えてないように思います。
「左近の桜・右近の橘」(さこんのさくら・うこんのたちばな)では、「天照大神」は「桜」を意味し、生に執着しない「聖母マリア」を意味します。
「右」の「百合」は西洋では「聖母マリア」のシンボルですが、日本では媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)のシンボルであり、初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)(秦氏)の皇后となった蹈鞴製鉄(たたらせいてつ)の大物主命(物部氏)を象徴する花になります。
ミカエルはゾロアスター教の太陽神ミスラをキリスト教が取り込んだもので、仏教では救世主の弥勒菩薩(みろくぼさつ)に当たります。
「最後の審判」もゾロアスター教がルーツで、それをキリスト教が取り込んだもののようです。
京都市の太秦(うずまさ)にある秦氏の寺である広隆寺(こうりゅうじ)の霊宝殿には国宝第一号の「宝冠弥勒」と称されるアカマツ材の弥勒菩薩像が安置されています。
そして、やや小さいクスノキ材で造られた沈うつな表情で「泣き弥勒」と称される弥勒菩薩像も同じく安置されます。
「宝冠弥勒」は皇極天皇を、「泣き弥勒」は天武天皇を表しているものと私は思います。
話が脱線しましたが、この「最後の審判」を見ると西洋の宗教観と日本の宗教観の違いを深く考えさせられます。