廣瀬大社(ひろせたいしゃ)

今日は、私のご先祖様の中でも、特に私の守護神だと思われる豊受大神(とようけのおおかみ)を祀る廣瀬大社にやって来ました。

この地域は、「廣瀬の川合」(かわあい)と言い、かぐや姫の伝説の生れた所でもあります。

「可愛い」という言葉は、「川合い」から来ているのだと思います。

竹取物語に登場する「竹取の翁」の名を「讃岐造(さぬきのみやつこ)」と言い、讃岐国(さぬきのくに)から、この地に移り住んだ忌部氏(いんべし)だという伝承があります。

忌部氏(いんべし)は、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の子の天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祖とする氏族で、讃岐の故郷の神を勧請したとされ、この近くの讃岐神社(さぬきじんじゃ)にも、同じ神様が祀られています。

天忍日命(あめのおしひのみこと)を祖とする大伴氏(おおともし)も、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)から分れた氏族で同族だと思われます。

この地は、大和川から、富雄川、佐保川、初瀬川、寺川、飛鳥川、曽我川、葛城川、高田川へと八つに分れて広がっていて、大和盆地を流れる総ての川が一点に合流する珍しい土地で、そこから「川合」(かわあい)と呼ばれます。

この神社の神様は、水を支配する月の女神ですが、その姿は、まるで龍神の八岐大蛇(やまたのおろち)を連想させます。

なんでしょう?

鳥居をくぐった途端に、甘い香りがします。

キンモクセイのような角が立つような香りではなく、もっと、柔らかい香りです。

匂ったことのない香りですが、いい匂いです。

一瞬、風景が白黒に変わって、夢の中に入り込んだような錯覚を覚えます。

ゆっくりと時間が流れているようです。

ご覧のように、まわりには、花は咲いていません。

本当に不思議です。

とりあえず、先に進みましょう。

左は川が流れています。

すごい長い参道です。

奥が全然、見えません。

左に赤い鳥居が見えます。

摂社でしょうか?

日の丸大明神と書かれ、左右には狐の狛犬があります。

お稲荷さんかもしれません。

私が神社仏閣めぐりをするようになったのは、ある夢が切っ掛けです。

白い神様が現われて、小さな銀色に輝く玉が無数に入った袋をいただくという不思議な夢を見ました。

その時は、祖父は健在だったのですが、何故か祖父のお葬式の夢で、そこに白い神様は現われました。

そして、名前を教えてくれたのですが、聞いた事のない名前だったので、好奇心から、目が覚めてから、いろいろと調べました。

そして、調べていくうちに、神社仏閣めぐりをするようになり、この神様までたどり着いたというわけです。

この神様は、私のご先祖様の一人です。

おそらく、祖父を守護している神様だったのだと思います。

私の祖父は、かなり気性が激しい人だったのですが、私の父を前にすると、「後ろに何か得体の知れないものがついていて怖くて近づけない」と、生前に言っておられたらしく、その「得体のしれないもの」が何なのか分らなかったようです。

私は、神社仏閣めぐりをしていくうちに、分かるようになりました。

うちの父を守護していたのはどうやら、大物主命(おおものぬしのみこと)という神様で、こちらも私のご先祖様の一人でした。

 

龍神で、天気を自由に操れる神様です。

私の父が亡くなった四十九日は、大雨で雷が鳴り響いていたのですが、不思議とその雷の音が、全然怖くなく、父が鳴らしていると何故か直感で確信が持てました。

そして、朝方、雨が止んで、鳥の鳴き声が聞こえてきた時に、夢の中で父に会いました。

しかも、その父の姿が、普段の父の姿ではなく、雲の上で、石の柵に囲まれた神社か何かの境内で、民族衣装のようなものを纏って、髭を蓄えた姿で現われました。

まるで、私に自分の本当の姿を教えに来たようでした。

そして、その時に名前を教えていただいたのですが、またもや、聞いたことのない名前でした。

それから一年、不思議なことが起こりました。

それは、どんなに土砂降りの雨が降ろうと、何故か、私の周りだけは雨が降らず、濡れることがないという異常な常態が続きました。

例えば、大雨が降っている時に、外へ出ようとすると、雨が止むのです。

そして、バスや電車に乗り込むと、再び大雨になるのです。

ひどい時には、私の周りは晴れているのに、何百メートルか先は大雨が降っているという時もありました。

そして、その効力がきれたのが、一年たったある雨の日のことで、この雨は、父が降らしている雨ではなくなったと、何故か感覚で分りました。

それ以降は、思ったとおり、何度か雨にも遭遇し、普通に傘も必要になりました。

 

ただの偶然かもしれませんが、私にとっては、父からの愛情を感じた特別な一年でした。

そして、祖父の神様と、父の神様の謎が解けたのが、籠神社(このじんじゃ)という神社に訪れた時でした。

伊勢神宮の外宮に祖父の神様(豊受大神)が移られた後を、父の神様(饒速日命)が守っていたのです。

後でパンフレットを貰って知ったのですが、この廣瀬大社の社家も、樋口氏と言い、饒速日命(にぎはやひのみこと)の苗裔(びょうえい)だと書かれています。

いろいろとご縁があるようです。

日露戦争の戦利品の大砲と弾丸だそうです。

明治40年3月に当時、陸軍大臣だった第18代内閣総理大臣の寺内正毅(てらうちまさたけ)が奉納したそうです。

目の前に大きな朱の鳥居が見えます。

いよいよ本殿のようです。

鳥居をくぐりました。

馬の像が見えます。

お稲荷さんのシンボルは白い午(うま)です。

2月の最初の午の日は、「初午」(はつうま)と呼び、伊奈利山(稲荷山)に、この神社の神様が降り立った日だとされます。

月の動きを基準にする太陰暦では立春(2月4日頃)から、新しい干支が始まるそうです。

着きました。

拝殿です。 

御祭神は、若宇加能売命(わかうかのめのみこと)、別名を豊受大神(とようけのおおかみ)と言います。

エジプト神話の白冠を被ったイシスという有翼の女神で、キリスト教の聖母マリアと習合した女神です。

高野御子大神(たかのみこのおおかみ)とも呼ばれ、「鷹」の女神になります。

狩場明神という別名もあり、白と黒の山犬の神で、空海を高野山に導いた神様としても知られています。

桓武天皇(かんむてんのう)は、鷹狩りを好んだとされますが、桓武天皇の母の、高野新笠(たかのにいがさ)の「高野」は、「鷹の野」という意味で、高野山も、そこから来ているものだと思われます。

「新笠」(にいがさ)は、百済系の王=武寧王(ぶねいおう)の10世孫とされ、おなじく百済系の王族であった饒速日命(にぎはやひのみこと)=大物主命が笠の神様とされていたので、  それに代わる「新たな笠」だという意味だと思われます。

饒速日命(にぎはやひのみこと)の妃となった登美夜姫(とみやひめ)は市杵島姫(いちきしまひめ)の事で、「鵄」(トビ)の女神になります。

鵄(トビ)も、鷹(たか)も、烏(からす)より大型で、烏の天敵とも言える鳥です。

烏は素戔嗚尊(すさのおのみこと)のお使い八咫烏(やたがらす)を象徴します。

鷹狩りなどでは、同じ獲物を狙って烏(からす)と争いが起こりますが、大抵は、烏(からす)が追い払われるようです。

境内に、「橘」(たちばな)の木があります…

なんで、こんな所に「橘」の木が?

私の家の家紋は、源氏を象徴する「笹竜胆」(ささりんどう)と、「橘」が組み合わさった形の家紋なので、ちょっとびっくりしました。

先程の甘い香りの正体は、この橘の花の香りだったようです。

写真では分りにくいのですが、かなり木に、蜘蛛の巣が絡まっています。

この香りにつられてやって来る虫を食べようと蜘蛛が巣を作っているのかもしれません。

しかし、本当にいい香りです。

「右近の橘(うこんのたちばな)、左近の桜(さこんのさくら)」と言うのは、橘は香りが、桜の美しさに匹敵するぐらいすばらしいという意味なのでしょうか?

橘の別名の非時香菓(ときじくかぐのこのみ)とは、時を定めず香りのする果物という意味で、やはり、香りが主役のようです。

橘は、垂仁天皇(すいにんてんのう)が、田道間守(たじまもり)に探しにいかせた不老不死の果物です。

古事記では、垂仁天皇の居られた都は、師木玉垣宮(しきのたまがきのみや)とされますが、実際に居られたのは纒向珠城宮(まきむくのたまきのみや)だということがわかっています。

この遺跡からは、大量の桃の種が出土しており、桃が不老不死の果物とされていたようです。

桃は、中国でも仙人の果物とされていたので、日本は、中国とは違う独自の道を進むために、橘が選ばれたのかもしれません。

橘姓を名乗った人物に、県犬養三千代(あがたいぬかいみちよ)という女性がいます。

藤原不比等の後妻で、藤原不比等に翼を与え、権力を持たせた張本人です。

彼女の元の姓は犬養氏(いぬかいし)ですが、犬養氏は、大伴氏から分れた氏族で、豊受大神とも係わりがあります。

彼女が乳母として育てたとされる軽皇子(文武天皇)は、天武天皇と、天智天皇の両方の血を引く皇子でした。

籠神社(このじんじゃ)で、億計尊(おけのみこと)と弘計尊(おけのみこと)の二人の皇子を育てたとされる飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)は、彼女を神格化した人物ではないかと、私は思います。

つまり、豊受大神とは、県犬養三千代のことではないかと…

池があります。

社伝によると、祟神天皇(すじんてんのう)の時代に、一夜で沼地が陸地に変化し、橘が多く生えたことが天皇に伝わり、この地に社殿を建てたとされます。

天武天皇が建てたとされる日本書紀とは、内容が少し違いますが、豊受大神のシンボルが橘とは、今回、初めて知りました。

社務所があって、お札やお守りが売っていました。

交通安全のステッカーがあったので購入しました。

橘の神紋が入っています。

5月なので、これは、「端午(たんご)の節供」の菖蒲(しょうぶ)か何かでしょうか?

旧暦では午の月は5月にあたり、この午の月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、のちに5が重なる5月5日が端午の節句の日になったようです。

花はまだ咲いていませんが、うっすら紫色のつぼみが見えます。

コメント: 2 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    たぬき (木曜日, 29 10月 2015 05:01)

    登美屋媛命。、、、ナガ(ナカ)国を統べる富大王家の皇女。
    ナガスネヒコ。、、、ナガ(ナカ)国を統べる大王陛下。(大国主/天照皇大神(天皇))
    ナガ(ナカ)国。、、、我が国の本州の大半と四国地方を統べた大国。記紀では『葦原中つ国』(後の大出雲国)
    ナカ、ナガ等のつく地名、地域、郡名、河川、山名ほかが各地に残っていますが名残では?
    その始祖を『天御中主尊』(御ナカの(ツ)国主(尊))と表記したのかも?

    統治する王権は『金色に眩しく光り輝く』モノ。
    登美(富)王家、、、鳥に変神すると『鵄』。
    それも只の『鵄』では無くて、金色に眩しく光り輝く『金鵄』
    此が少し卑近に表現されると、『金鳥(長) 』で『飛鳥』
    金長。、、、
    、、、徳島県の南東部はナカの国。那賀郡。ここ徳島の民話でタヌキ(天神、神霊)の大統領は金長タヌキ大明神。
    、、、金比羅宮は大物主神(摂社、末社のほとんどが出雲の神々)。
    元、松尾寺(秦氏の氏寺)の別当、金比羅大権現宮
    (本地垂迹の本地仏は十一面観音(天照御魂神)。脇侍は不動明王と毘沙門天(二尊合わせ天照大神荒魂(瀬織津媛大神/出雲大神荒魂)))宮。地域の郡名は那賀郡。
    金比羅宮の神紋は丸〇に金と長を組み合わせたような独特な文字。、、、金長。
    この金比羅宮の峰続きの山が大麻山。麓には大麻神社。
    阿波忌部が移住して周辺一帯を開発したと伝わります。
    因みに、讃岐の大麻山は、本拠地?鳴門市の大麻山、大麻彦神社(四国遍路第一番の霊山寺)の真西。 真東は和歌山日前宮や伊太祁曽神社。

  • #2

    やっしー (木曜日, 29 10月 2015 06:11)

    いつも、コメントありがとうございます。