護王神社(ごおうじんじゃ)

今日は京都御所の西側にある護王神社(ごおうじんじゃ)にやって来ました。

護王神社は、初めは洛西の高雄山(たかおさん)の神護寺(じんごじ)の境内に和気清麻呂公(わけのきよまろこう)の霊社として祀られていたものを、明治天皇の勅命によりこの地に移したそうです。

神護寺は和気清麻呂の私寺であった神願寺と高雄山寺が天長元年(824年)に合併して出来たものとされ、神願寺の所在地については奈良と大阪に跨る二上山(にじょうさん)や、京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の鳩ヶ峯の別名、男山(おとこやま)などの説が存在するようです。

 

二上山は元々、皇極天皇と蘇我倉山田石川麻呂を一つに結びつける為の山でしたが、称徳天皇(孝謙天皇)を最後に天武天皇の血が皇室から排除された後は、二上山に天武天皇が加えられ、男である蘇我倉山田石川麻呂と天武天皇の習合が行われました。

 

高雄山(鷹ヶ峯)の高雄(たかお)は鷹尾(たかお)で、鷹は現在はお稲荷さんを意味しますが、元々は天武天皇を意味し、尾は習合してその子孫となった和気氏を表すようです。

 

和気氏の元々のルーツは藤野氏で、温羅(うら)と呼ばれる百済の渡来人の住む岡山県になります。

 

蘇我倉山田石川麻呂の血を引く女性を百済の渡来人に嫁がせたもので、本筋は藤原氏になるものと私は思います。

護王神社の「護王」(ごおう)とは天皇家の地位を奪おうとした弓削道鏡(ゆげのどうきょう)から天皇家(王)を守(護)った和気清麻呂(わけのきよまろ)と、それを助けた藤原百川(ふじわらのももかわ)から付けられた名前だと推測出来ますが、それなら王護神社(おうごじんじゃ)でも良いはずで、おそらく、「五王」(ごおう)の意味と「牛黄」(ごおう)の両方の意味が含まれているものと私は思います。

 

「五王」(ごおう)は金星(五芒星)を意味する虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を指し、マグダラのマリアを仏教が取り入れた観音菩薩(かんのんぼさつ)の代わりになる仏様です。

 

私の憶測ですが、奈良の大仏の脇侍が虚空蔵菩薩と如意輪観音で、奈良時代の人達は虚空蔵菩薩が聖武天皇、如意輪観音が光明皇后のつもりで、建てたのだと思います。

 

つまり、和気清麻呂が天武天皇の意思を継ぐ虚空蔵菩薩に当たり、神護寺の中心的な仏様という意味なのかもしれません。

 

そして、もう一つの「牛黄」(ごおう)は牛の「肝」(中心)で、天武天皇を蘇我倉山田石川麻呂に集合する目的で作られた牛頭天王(ごずてんのう)=八坂神社(やさかじんじゃ)の中心的な役割を担うという事です。

 

仏教ではイエス・キリストを取り入れた薬師如来(やくしにょらい)に当たり、神護寺の御本尊になります。

狛猪(こまいのしし)です。

弓削道鏡の野望を打ち砕く為に和気清麻呂が宇佐八幡宮に向かわれる際に何処からともなく現れた300頭もの「猪」が護衛し案内したとされる逸話からこの神社の神使となったようです。

おそらく、藤原百川が送り出した「秦氏」の護衛を「猪」で表したものと思いますが、「猪」は推古天皇のシンボルになります。

 

藤原百川は藤原式家(ふじわらしきけ)の祖で、推古天皇の一族の娘を藤原氏に嫁がせて出来た氏族だと私は思います。

 

推古天皇は観音菩薩のモデルになったマグダラのマリアの中心的な人物で、元々はキリスト教(景教)を信仰する「秦氏」の頭領だった人物と思われますが、大化の改新以降は、蘇我氏の系図に組み込まれ、蘇我氏のシンボルの「猪」が推古天皇のシンボルとなります。

子育明神(こそだてみょうじん)の看板が見えますが、こちらは和気清麻呂の姉の和気広虫(わけのひろむし)が83人の孤児を引き取って育てた事に由来します。

 

広虫(ひろむし)という名前の由来は、おそらく蚕(かいこ)の事で、八幡神の中心的人物の応神天皇(おうじんてんのう)が「応」(イエス)の神で、元は天武天皇を指しましたが、現在は廣幡八幡麻呂(ひろはたはちまんまろ)と呼ばれ「廣幡」(ひろはた)は「みんなの秦(幡)氏」という意味になります。

 

お稲荷さんの異名も末廣大明神(すえひろだいみょうじん)で、廣隆寺(こうりゅうじ)や、廣田神社、廣瀬大社と「廣」(ひろ)は機織りの「秦氏」の代名詞と言えます。

「末」(すえ)は、おそらく須恵器(すえき)の「須江」(すえ)で、伽耶国(かやこく)から伝わった屋根瓦にも使用できる硬質の土器です。

弥生土器の系譜にある土師器(はじき)は梅鉢などの植木鉢に使用される軟質の土器になり、それとは、まったく異質な須恵器は秦氏が持ち込んだ技術なのかもしれません。

 

和気氏(藤野氏)は秦氏と、とても近い関係にあったことが推測出来ます。

外の玉垣には奇麗に絵巻風のパネルが展示されています。

明治時代から昭和にかけての十円札に和気清麻呂が描かれていたようです。

お札の絵柄もこうやって見ると美術品のようです。

猪が走っています。

猪を囲う円の柄が、ハートの中を三つ葉が繰り抜いた柄になっています。

ハートは観音菩薩が持つ水瓶で、イエス・キリストの血を受けたお皿の聖杯を表します。

 

三つ葉は宗像三女神の神紋の「楢の木」(ならのき)で、物部氏、秦氏、蘇我氏の「三輪」(みわ)を表すと共に、常緑樹ではなく落葉樹である事から「永遠の命」を捨てた「生命の樹」(ナツメヤシ)の代わりだと思われます。

 

ユダヤ教で「生命の樹」は「不死鳥」(フェニックス)を象徴し、いつか現れる救世主を意味し、キリスト教では、それをイエス・キリストだと信じる宗教と言えます。

大正4年の10円札には護王神社が描かれていたようです。

 

神護寺は「瓦投げ」(かわらけなげ)の発祥のお寺で、酒器やお皿の土器を清滝川の谷に投げ捨て厄災(やくさい)を払うというものです。

 

清滝川は桂川(皇極天皇)に合流する川で水源は鴨川と同じ桟敷ヶ丘(さじきがおか)で、源氏の祖である清和天皇の惟仁親王(これひとしんのう)と皇位を相撲で争ったとされる紀氏(きし)の惟喬親王(これたかしんのう)を祀る惟喬神社(これたかじんじゃ)がある丘になります。

 

惟喬親王が可愛がっていた雌鳥(めんどり)が死んで祠を建てたのが始まりで、雌鳥神社(めんどりじんじゃ)とも呼ばれます。

 

雌鳥とは、おそらく、雄の白鳳(はくほう)ではない雌の朱雀(すざく)の系統である事を暗示させているのだと思われます。

紀氏は天武天皇の血を引く氏族で、藤原氏の血を引く源氏に敗れた形になります。

 

「かわら」は屋根を意味し、「かわらけ」は釉薬の塗られていない素焼きの土器全般を意味します。

 

災(さい)は斎宮(さいぐう)の斎(さい)で、賽(さい)の河原(かわら)の賽(さい)と同じく、狭井神社(さいじんじゃ)の素戔嗚尊を表します。

一角獣の犀(さい)であり、麒麟(きりん)=ユニコーンの「馬」を表します。

 

「お皿」は推古天皇を意味し、「瓦」(かわら)は福岡県の香春神社(かわらじんじゃ)の「香春」(かわら)で神功皇后を指すようです。

 

物部尾輿が弓削倭古(ゆげのやまとこ)の娘の阿佐姫(あさひめ)と結婚して弓削氏を率いたようですが、阿佐姫には香波流姫(かはるひめ)と呼ばれる姉がいて、こちらが香春神社のご祭神で、元々は持統天皇を意味したものだと思いますが、壬申の乱で天武天皇の皇后にされてしまったので、平安時代以降に、代わりに天武天皇の母の皇極天皇(斉明天皇)を担ぎ上げたのではないかと私は思います。

 

弓削氏の阿佐姫とは推古天皇を表していて、シンボルは蘇我氏と共に猪になります。

瓦が日本で最初に使用されたのが飛鳥寺(あすかでら)だと日本書記には記されていますが、私は川原寺(かわらでら)がそれよりも先で、元の名前は鳳凰寺(ほうおうでら)など、別の名前だった可能性があると思います。

 

現在、弘福寺(ぐふくじ)が川原寺と呼ばれますが、弘(ぐ)は弘(ひろ)で廣(ひろ)と同じ意味があります。

和気氏の教育機関だった弘文院(こうぶんいん)の弘(こう)も同じです。

川原寺跡の裏山の板蓋神社(いたぶきじんじゃ)からは壊れた大量の瓦礫(がれき)が発掘されていて、瓦が使用されていた事が推測出来ます。

 

「飛鳥」(あすか)の「飛ぶ鳥」とはヤマトタケルの「白鳥」=「白鳳」(はくほう)であり、大鷲神社(おおとりじんじゃ)の「鷲」(わし)に当たります。

「鳳凰」(ほうおう)の「鳳」(ほう)で雄(男)の方になります。

モデルは天智天皇の息子である健皇子(たけるのみこ)で、彼の子孫が皇室を取り巻く八氏族に分けられたのだと思います。

 

「凰」(おう)の雌(女)の方は赤い朱雀(すざく)であり、モデルは「猪」になる前の推古天皇と思われます。

 

弓削氏は物部氏に「犬」の氏族である佐伯氏が嫁いで生まれた氏族だと思います。

道鏡事件で弓削氏のシンボルである「瓦」を投げ捨てる「瓦投げ」(かわらけなげ)が生まれたのかもしれません。

こちらはこの神社の神紋の「向かい四つ藤」だそうです。

四つの藤は藤原四兄弟が協力して桓武天皇が誕生した事を表しているのかもしれません。

上下の「藤」が向かい合う「蝶」にも見えるデザインなのも印象的です。

向かい合う「蝶」は夫婦和合の象徴ともされます。

 

「蝶」は桓武天皇の氏族である平家の家紋ですが、死と復活を表すイエス・キリストのシンボルとも言われます。

しかし、本当は人間である芋虫から神である「蝶」へと変わったマグダラのマリアを表し、「猪」である推古天皇を意味するのかもしれません。

 

「蝶」が求める「蜜」(みつ)は不老不死の力があるという神話から密教の本当の教えの「密」(みつ)と同じく「和合」(わごう)の「愛」(あい)を意味します。

興味深いのは、この神紋の中央の空間の形がアーモンド形の空間で、キリスト教ではマンドルラやイクトゥスというイエス・キリストを表すシンボルになります。

道教(どうきょう)では万物を生み出す「玄牝」(げんぴん)の意味があり、そこから生まれる「気」(き)が世界を形作っています。

「気」は息であり、風であり、生命であり、ギリシャ哲学のプネウマ(聖霊)で、八幡神のシンボルになります。

 

「息」はギリシャ神話ではキューピッド(イエス・キリスト)に愛された人間プシュケー(マグダラのマリア)を意味し、「蝶」で表されます。

 

因みに「アーモンド」の樹と同じバラ科サクラ属の樹の「桜」が日本の「生命の樹」になります。

鼻を撫でると幸せになると言われている「猪」の手水舎です。

みんなに撫でられたせいか鼻だけ色が変わっています。

 

「猪」の鼻は「桃」と同じ形をしていて「ハート」を逆さまにした形になります。

 

日本の「猪目」(いのめ)と呼ばれる形は現在は「ハート」と同じ向きになっていますが、鼻は素戔嗚尊のシンボルであり、天武天皇の意味になります。

 

本来であれば目を撫でるのが「猪目」の意味にもなるのですが、痛々しいので最初にご利益を考えた人が鼻にしたのかもしれないですね。

 

猪を蘇我氏と結びつけたのは崇峻天皇(すしゅんてんのう)を暗殺した時からだとされますが、元々は猪の鼻が「ハート」の逆向きなので、推古天皇を担ぐ蘇我氏への腹癒せに、そういった逸話が付けられたような気がします。

 

「ハート」は正位置でマグダラのマリアの「聖杯」を表すのですが逆位置だと血がこぼれて「ロンギヌスの槍」のスペードになってしまいます。

 

「桃」も桃太郎など、温羅(うら)と呼ばれる百済の鬼を退治した天武天皇を表したおとぎ話なので蘇我氏の親玉の意味になるようです。

 

「桃」の仲間である「李」(すもも)の巴旦杏(はたんきょう)の種の殻を剥いた「仁」(じん)が「アーモンド」です。

アーモンドはユダヤ教では三種の神器の一つの「アロンの杖」になります。

 

一晩で杖が芽を出し、花が開いて実を結んだ事から神様が選ぶ権威を象徴します。

 

ヘブライ語でアーモンドを「シャケド」と呼び、「見張る」、「目覚める」という意味があるそうです。

ユダヤ教のメノラーと呼ばれる燭台がアーモンドの樹を表しているとも言われています。

神様の目であり、仏様の半眼や、「第三の目」と同じ意味があると思います。

 

日本人はこのアーモンドと近種の「桜」を品種改良し、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の生に捉われない「悟り」を表現したのかもしれません。

福岡県北九州市にある足立妙見宮(あだちみょうけんぐう)と呼ばれる神社があります。

別名を御祖神社(みおやじんじゃ)と呼び、天智天皇(松)、天武天皇(竹)、蘇我倉山田石川麻呂(梅)の血を天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の造化三神として結びつける意味があるようです。

 

足立(あだち)は和気清麻呂が道鏡の刺客に襲われ足の筋を切られましたが、八幡神のお告げがあり、足立山の麓にある湯川の温泉に足をつけると傷が回復した事から、この山の名前がついたようです。

 

温泉は病気の治療に効く事から医学とも関係が深く、和気氏は典薬頭(てんやくのかみ)として朝廷に仕えました。

 

病気を治すイエス・キリストが薬師如来とされた事から和気氏が医学を学ぶ役割を担ったのかもしれません。

造化三神と共に祀られる妙見菩薩(みょうけんぼさつ)は北極星を神格化した道教をルーツとする菩薩ですが、お稲荷さんの事で、和気氏の先祖である垂仁天皇(すいにんてんのう)がお稲荷さんに当たる事から、和気氏が御先祖様を祀っている形になります。

 

垂仁天皇は「桃」の代わりに「橘」を不老不死の実とした天皇です。

また、殉死の代わりに土師器の埴輪(はにわ)を古墳に埋めた天皇でもあります。

 

お稲荷さん(妙見菩薩)はイエス・キリストの代わりに、秦氏が信仰する神様となります。

 

奈良の川原寺跡の前には聖徳太子を生んだ橘寺(たちばなでら)があります。

私は聖徳太子は蘇我氏の功績を隠す為に作られた架空の人物だと思っています。

 

聖徳太子が亡くなって300年が過ぎた鎌倉時代に、法隆寺の僧の顕真(けんしん)が聖徳太子の事を詳しく語るようになったのも不自然です。

 

聖徳太子の言葉とされる「和を以って貴しとなす」の「和」は桓武天皇が治める平安時代の「平和」の意味と、天皇家を守護する和気氏の「和」を意味したのかもしれません。

こちらは足立妙見宮の神紋の裏菊(うらぎく)です。

 

菊を裏側から見た図案です。

 

和気明親(わけのあきちか)が後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)からこの紋章を賜った事からこの神紋が使われるようになったそうです。

 

皇室を裏から支えるという意味があるものと思われます。

 

萼(がく)が五芒星になっているのが和気清麻呂の虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を表しているように私には思えます。

 

和気氏と同じ藤原氏を本姓とする椿井氏(つばいし)もこの家紋になります。

 

天皇家の皇祖神である内宮の天照大神と、藤原氏を象徴する外宮の豊受大神(とようけのおおかみ)があり、豊受大神がお稲荷さんに当たります。

 

豊受(とようけ)の「受」(うけ)は「宇迦」(うか)の食料を表すと一般的に言われますが、私は「富を受けるお皿」=「聖杯」の意味の方が強いように思います。

 

籠神社(このじんじゃ)の「マナの壺」も「聖杯」の意味があるものと思います。

 

神道では豊受大神は天照大神と同等に近い地位を与えられているのに、仏教ではカーリー(鬼子母神)の侍女のダーキニーという脇役にしか過ぎなかったので、道教の北辰信仰(ほくしんしんこう)を持ち出して、天皇である北極星をお守りする北斗七星が藤原氏だとして妙見菩薩が信仰されるようになったのだと思われます。

 

インドのヒンドゥー教のカーリーはマグダラのマリア、ダーキニーはその娘サラを表すようです。

こちらが拝殿です。

側面に軍艦の絵が奉納されています。

その下に説明が書かれていました。

軍艦の名前は「高雄」(たかお)だそうです。

 

高(たか)は天武天皇の鷹(たか)を表し、雄(お)はその子孫である「尾」(お)を意味するようです。

 

つまり、天武天皇の血を引く女性を妻に貰えば、子は父方の姓を名乗りますが、血は母方の天武天皇の子孫でもある事になります。

高雄山の名前はそこから来ているのだと思います。

この神社の御神木の「招魂樹」(おがたまのき)というそうです。

オガタマノキはモクレン科の常緑樹で、榊の代わりに玉串として使用される事もあるようです。

 

この樹の根本に無数の串が刺さっています。

座立亥串(くらたていぐし)と呼ぶそうで、名前と願い事を紙札に書いて串に挟んで地面に刺して祈願するそうです。

ミカドアゲハが葉っぱを食べる樹でもあり、揚羽蝶(あげはちょう)を家紋とする平家の祖である桓武天皇(かんむてんのう)を象徴する樹なのかもしれません。

 

「蝶」(ちょう)は太陽の出ている昼間に活動をしますが、「蛾」(が)は太陽の沈んだ夜に活動します。

 

「蚕」(かいこ)は「蛾」(が)の仲間なので御神木が「蚕」が葉を食べる「桑」(くわ)の木ではなく、オガタマノキにしたのだと思います。

こちらは、足腰の病気の回復を祈願する場所のようです。

こちらが本殿です。

チェンソー彫刻家の城所ケイジ氏による「飛翔親子猪」という作品だそうです。

材質はこの神社にあった樹齢300年の桂(かつら)の木だそうで、祈願殿を建設の際に伐採した木だそうです。

 

桂は桂川(かつらがわ)と同じく弓削氏の神功皇后のモデルである皇極天皇を象徴する木なので、そこに推古天皇を象徴する「猪」を彫っているのには因縁を感じます。

 

桂川は昔は葛野川(かどのがわ)と呼ばれ、秦氏が川沿いに多く住んでいたようです。

 

この護王神社の南側に桑原町(くわはらちょう)と呼ばれる「道」だけの町があります。

 

この「道」は東西に通る「丸太通り」(まるたどうり)と言って、地名の由来は、嘗て、この通りの東の鴨川に掛かる橋が丸太で造られたものだったという説や、この通りで材木の売買が行われていたという説があります。

 

西に向かうと秦氏の「蚕の社」(かいこのやしろ)があり、嵐山(あらしやま)となり、秦氏が多く住んでいた地域の「西の河原」(さいのかわら)になります。

 

桑原町は菅原道真(すがわらのみちざね)の子孫の桑原家(くわはらけ)の邸宅があった場所だとされ、菅原道真の祟りで京の都に雷が鳴り響いた時にも、この桑原町だけは雷が落ちなかったと言われています。

 

雷の落ちない呪文「くわばら くわばら」は、ここから来ているとも言われますが、私は菅原道真の祖である蘇我倉山田石川麻呂をモデルとした少子部蜾蠃(ちいさこべのすがる)から来ているものと思います。

 

おそらく、桑原町に「桑」の樹の御神木があったのでしょうが、秦氏は道教(どうきょう)を表す「道」にされてしまったのだと思います。

 

「眠れる森の美女」の永遠の眠りにつく「糸車」の呪いとは、成虫の「蛾」(が)になれずに「繭」(まゆ)から「絹」(きぬ)になる「蚕」(かいこ)を意味しているのかもしれません。

 

秦氏の「兎」(うさぎ)が「道」になって「菟道」(うじ)=「宇治」(うじ)という地名が生まれたのだと思います。

 

シルクロードも同じく「絹の道」になります。

魔除けのお守りを買いました。

マグダラのマリアのシンボルであるハートマークの「稲目」(いなめ)です。

こちらは妙見菩薩(みょうけんぼさつ)を祀る能勢妙見宮(のせみょうけんぐう)の神紋の「切竹矢筈十字」(きりたけやはずじゅうじ)という十字架です。

 

八つの角を持つ事が特徴です。

 

丸太(まるた)という地名ですが、私はマグダラのマリアを守ったテンプル騎士団や、マルタ騎士団の「マルタ十字」が「丸太通り」の地名の由来だと思います。

 

「マルタ十字」は「切竹矢筈十字」(きりたけやはずじゅうじ)と同じ八つの角を持つ十字架です。

 

「マルタ」に「丸太」(まるた)という字を当てたのは、「丸」(まる)が「和」(わ)を表すからだと思われます。

 

秦氏が信仰した古代キリスト教の景教(けいきょう)のシンボルが「マルタ十字」を使用していたのかもしれません。

 

護王神社は以上です。

こちらは大丸ヴィラです。

護王神社のすぐ近くで、地下鉄烏丸線の丸太町駅から北西出口を出た所にあります。

大丸百貨店店主の下村家が居宅として昭和5年に建てたチューダー様式の住宅で、ウィリアム・M.ヴォーリズが設計した近代京都の名建築と言われている建物です。

護王神社に行かれる際には寄られてみてもいいかもしれません。