プロフィール

やっしー


自己紹介
出身地: 奈良県

性別: 男

職業: 

真珠・宝石の販売


好きな本:

芥川龍之介の「杜子春」 「奉教人の死」

司馬遼太郎の「世に棲む日日」 「竜馬がゆく」 「歳月」 「俄-浪華遊侠伝」 

「新史-太閤記」 「尻啖え孫市」 etc

 

好きな曲:
シューベルトのアヴェ・マリア

 

好きな食べ物:

王将の餃子 すき家の3種のチーズ牛丼 丸亀製麺のぶっかけうどん 

スターバックスの抹茶クリームフラペチーノ

 

インドのジャータカ物語では仏陀の前世の一つがウサギだったそうです。

 

帝釈天(たいしゃくてん)が餓えた老人になって動物達を試したところ、サルやキツネは食料を持って老人に分け与えたりしたのですが、ウサギは食料を採って持ってくることが出来ず、考えた挙句に自ら燃える焚火の中に飛び込んで、自分を食料として老人を助けようとしました。

 

ウサギのこの善行に帝釈天は驚き、姿を現して涙を流しながらウサギを持ち上げて、この善行を誰もが忘れないようにと讃えて月の中に姿を映し出したと言われています。

 

この話が日本では平安時代に書かれた今昔物語(こんじゃくものがたり)の五巻第十三話の「月の兎」に収録されていて、ここから月の中でウサギが餅を搗いているのは人々を餓えさせない為だとか色々な説話が生れ、お月見には団子が供えられるようになります。

 

満月の事を望月(もちづき)と呼び、鏡餅(かがみもち)がお正月に飾られるようになります。

 

この鏡餅の上段に飾られるのがダイダイやミカンなどの柑橘類ですが、本来はタチバナが飾られるのが正式な姿で、これが八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)をあらわしているようです。

 

勾玉は輪廻転生するこの世の魂を表していて、鏡餅は太陽の八咫鏡(やたのかがみ)、その間に入るこの世とあの世の境界線の串柿は草薙剣(くさなぎのつるぎ)だと言われます。

 

梵我一如(ぼんがいちにょ)のウパニシャッドでは死んだ魂は月に集められ、ここから次の行き先が決められます。

 

ほとんどの人はピトゥリヤーナ(祖道)と呼ばれる大黒天が治める六欲天(ろくよくてん)の六道(ろくどう)の何処かに戻り、また、苦しみの修行を受けるのですが、善行を積んだ者は月から太陽へと向かうとされ、この道を梵天(ぼんてん)のディヴァヤーナ(神道)と呼びます。

 

兵庫県宝塚市に中山寺(なかやまでら)というお寺があります。

 

聖徳太子が坂王(天武天皇)と忍熊王(持統天皇)、そして両者の母である大中姫(皇極天皇)の追善供養の為、あるいは物部守屋の追善供養の為に建てられたお寺だと言われます。

 

物部守屋は私は大友皇子の事だと思っていて、おそらく奈良時代には素戔嗚尊(天武天皇)に退治された八岐大蛇(やまたのおろち)として悪役にされたのだと思われますが、愛知県岡崎市の大友天神社では壬申の乱で負けた大友皇子は自害して、その首が大海人皇子(天武天皇)の元に運ばれて確認されたとされますが、その首は替玉で、実際は生き延びて岡崎市に潜伏していたという伝説があります。

 

この岡崎市の東南に豊川稲荷で有名な豊川市が隣接していて宮道天神社(みやじてんじんしゃ)があり、物部守屋の子孫を称した宮道列子(みやじのれっし)の宮道氏が本拠とした土地で、大友天神社と宮道天神社は同じ意味があるのだと私は思います、

 

この中間地点の岡崎市藤川町に十王堂があります。

 

この十王堂というのは閻魔大王のお堂で、鎌倉時代以降に日本で信仰されるようになった十王経(じゅうおうきょう)と呼ばれる仏教で、死後に人間は閻魔大王が率いる十の仏達に生前の罪を裁かれて、それによって次の生まれ変わる世界が決められるという信仰です。

 

この閻魔大王の役目に充てられたのが八岐大蛇として退治された物部守屋であり、大友皇子なのだと私は思います。

 

この宮道列子が玉の輿に乗って再び天皇家の血に加わって生まれたのが第60代天皇の醍醐天皇(だいごてんのう)で、おなじく宮道列子の血を引く紫式部が書いた源氏物語の巻数が全60巻なのも、醍醐天皇を念頭に置いて作られたのだと思います。

 

草薙剣は、八岐大蛇の尻尾から出て来た剣で、審判の意味があるようです。

 

兵庫県宝塚市の中山寺の話に戻りますが、長谷寺の開祖の徳道上人が病に伏した時に冥土の閻魔大王(えんまだいおう)に会い、生前の悪行で地獄へ送られるものが多く、観音霊場へ参り功徳を得られるように、観音信仰を広めよとお告げを受けたそうで、この中山寺は観音巡礼の道、西国三十三所の二十四番札所として十一面観音菩薩を本尊とするようです。

 

中山寺の中山は迦具土神(かぐつちのかみ)が伊弉諾命(いざなぎのみこと)に斬られて八つの部位に分かれて八つの神様になるのですが、名前に全て山積神(やまつみのかみ)が付いていて八咫鏡(やたのかがみ)を表しているのですが、この八神とは別に中山積神(なかやまつみのかみ)という神様がいて、これが迦具土神を斬った十拳剣(とつかのつるぎ)を象徴しているのだと思います。

 

迦具土神は荒神と呼ばれ、この中山寺の隣の清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)の三宝荒神社(さんぽうこうじんしゃ)で祀られています。

 

先程の今昔物語の写本は京都の吉田神社の社家の鈴鹿連胤(すずかつらたね)が所有していて、現在は京都大学付属図書館に寄贈されて国宝に指定されているそうです。

 

鈴鹿氏は壬申の乱で殺された右大臣の中臣金(なかとみのかね)の子孫だそうです。

 

金は鏡や剣の素材の金属を意味しますが、勾玉の素材の石も金で包むと鈴になり、これが「とほかみえみため」の「笑み玉」(えみため)の鈴で、持統天皇の鹿の首に付けられた事を意味するようです。

 

「笑み」(えみ)恵美須(えびす)や藤原南家の恵美押勝(えみのおしかつ)の「恵美」(えみ)で、「三つ巴紋」を意味します。

 

中臣氏は藤原鎌足の子孫で、「刀」(とほ)「鏡」(かみ)「笑み玉」(えみため)の三種の神器の中心を貫いている金だという事です。

 

串柿は九州の麛坂王(かごさかおう)と四国の忍熊王(おしくまおう)の九四(くし)を貫く竹串の大中姫で、柿は柿本人麻呂で蘇我氏と秦氏を纏めた葛城氏を意味し、小野妹子(皇極天皇)の子の小野富人(中臣金)として葛城氏(神功皇后)と住𠮷三神(武内宿禰)は切っても切れない関係となります。

 

神功皇后の御香宮神社の香水(軟水)で作られる伏見の女酒と、武内宿禰の西宮(恵美須)の灘の宮水(硬水)で作られる男酒が対だという事です。

 

私は旧約聖書の出エジプト記でユダヤ人の命を救った「マナ」とは「米」のことだと思っていて、伊勢神宮外宮の元伊勢と呼ばれる真名井神社(まないじんじゃ)とは「真名」(マナ)を育てる真水の「井戸」を表している神社だと思っています。

 

真水はお米や野菜など山の幸を育てるからです。

 

イエス・キリストは自分の血を葡萄酒に例えたので、日本人はキリスト教徒だけでなくユダヤ人全てを救う象徴として「米」からお酒を作ったのだと思います。

 

「昔の長刀(なぎなた)、今の菜刀(ながたな)」という諺があります。

 

昔は敵を倒す長刀が、今は家庭で野菜を切る包丁になっているという意味です。

 

伊勢神宮の神紋として定着している花菱紋(はなびしもん)は、四弁の花で私は真菜(まな)の花だと思っています。

 

菜の花の真菜(まな)で、白菜に似た甘味のある大和野菜で、菜種油が火を灯します。

 

尼崎市に武内宿禰の墓があるのですが、菜切塚(なぎりつか)と呼ばれているのも天照大神を四分割した住吉(隅良し)の意味があるのだと思います。

 

菱形(ひしがた)は勾玉の石の意味で、下鴨神社の雛祭りに食べられる菱餅(ひしもち)が鴨の餌である菱の実(水栗)を練り込んだもので、白い餅が雪を表し、その下に母子草(ははこぐさ)を練り込んだ緑の餅の二段が元々の形で、雪の下で芽吹く命を表していたようです。

 

江戸時代にはこの雪の上に桃色のお餅を乗せて三段にして推古天皇を一番上に持って来たようです。

 

桃の種が女王卑弥呼(じょおうひみこ)の纏向遺跡(まきむくいせき)から沢山、出土していて古墳時代には不老不死の実として好んで食べられていたようです。

 

串柿は干し柿です。

 

本来は渋くて食べられない渋柿(しぶがき)を太陽の日(火)の力を借りて干して甘くする「干菓子」(ひがし)で、「火菓子」(ひがし)と同じ意味を持つと思います。

 

桃や橘は水分が多いので「水菓子」(みずがし)とも呼ばれます。

 

菓子(かし)の原点は樫(かし)のドングリで「栗」を意味しますが、清少納言があてなるものとして紹介された「かき氷の甘葛(あまづら)シロップ」が奈良時代の人気のお菓子だったようです。

 

甘葛シロップを豆に加えて甘納豆を作ったり、現代人の砂糖の代りになったものです。

 

この「甘葛」(あまづら)とは「夏葛」(なつづた)を煮詰めたもので「葡萄のツタ」の事のようです。

 

葛(くず)というと葛餅(くずもち)のマメ科の葛(くず)を思い浮かべてしまいますが、本来は葡萄の意味なのかもしれません。

 

イエス・キリストの血が菓子の原点だという事です。

 

現在の砂糖はサトウキビから採られる甘味料(かんみりょう)で、黍(きび)と同じイネ科の植物なので「米」の仲間と言えるかもしれません。

 

他にも楓(かえで)から採られるメープルシロップや、甜菜(てんさい)から採られる甜菜糖(てんさいとう)、花の蜜(みつ)を蜂(はち)が集めた蜂蜜(はちみつ)など、現代では甘味料も様々ですが、古代では旧約聖書の約束の地カナンの「蜜」(みつ)を代表する植物が「葡萄」であり、エフライム族(蘇我氏)のシンボルだとされていました。

 

「とほかみえみため」は「遠神、笑い給え」(とおかみ、わらいたまえ)という意味もあると言われます。

 

遠いというのは、自分の親を近い祖先として更に遡っていった遠いご先祖様を意味するそうです。

 

「遠」(とほ)が「十」(とほ)と置き換えられるように、その最も遠いご先祖様とはイエス・キリストを指すのだろうと私は思います。

 

「戸隠」(とがくし)とは「十隠」(とがくし)で、遠智娘(おちのいらつめ)は本当は遠智娘(とおちのいらつめ)なのに「と」が省かれて恩智神社(おんぢじんじゃ)など「と」が隠されてしまっています。

 

座敷童(ざしきわらし)の聖地の山形県の遠野市(とおのし)は隠されるはずの「と」が隠されていなくて、隠されていたら小野市(おのし)になっていたのだと思います。

 

大友皇子の妃となった十市皇女(とおちのひめみこ)など推古天皇の血筋は耳面刀自(みみもとじ)と名前を変えられて名前自体が隠されてしまっています。

 

耳(みみ)と面(も)を閉じるという意味だと推測出来ます。

 

耳は救いを求める衆生の声を聞く観音菩薩で、これも推古天皇に該当しましたが、十の声を聞き分けた聖徳太子や、ワニの神様の多聞天(たもんてん)にお株を取られます。

 

頭は桂(かつら)で葛城氏の皇極天皇、首と手は武蔵の強頸(こわくび)や勝手明神(かってみょうじん)と言われた天武天皇や、その子孫で首皇子と言われた聖武天皇、胸と肩は宗像三女神(むなかたさんじょしん)の持統天皇、背は折れてしまいますが瀬織津姫(せおりつひめ)の孝謙天皇、腰は古志の国で玉の輿に乗った大友皇子、足と腹は葦原醜男(あしはらしこお)と呼ばれた大国主命の蘇我倉山田石川麻呂です。

 

大国主命だけ足と腹の順番が逆さまになっているのは親子の関係が逆さまで子供の方が親より偉い賀茂神社を表しているからだと思います。

 

そして、最後に残された面は能面を使う塩土老翁神(しおつちおじのかみ)で藤原鎌足を表し、石川県の日面神社(ひめんじんじゃ)などで祀られますが、元々は比売大明神(ひめだいみょうじん)を祀る神社で、これも推古天皇を意味しました。

 

十一面観音菩薩の「十一」(じゅういち)は、イエス・キリストを知る「十市」(とおち)の意味もあるという事です。

 

ただ、本来は「一」と「十」なら「一」が先で「十」が後ですが、逆になっているのは「初代」天皇の神武天皇(じんむてんのう)と「第10代」天皇の崇神天皇(すじんてんのう)の二人の「はつくにしらすすめらみこと」(初めて国を統治した天皇)と呼ばれる天皇が居て、おそらく、奈良時代には神武天皇が天武天皇で、崇神天皇が天智天皇だったのが、平安時代にひっくり返されて神武天皇が天智天皇、崇神天皇が天武天皇の意味になったからだと思います。

 

ついでなので、もう一人重要な天皇がいるのですが、この天皇は「はつくにしらすすめらみこと」の称号はないのですが、天皇家で唯一、名前に神の文字が付く三人の天皇の一人で、天皇ではないけれど母も神の文字が付く神功皇后(じんぐうこうごう)と応神天皇(おうじんてんのう)の聖母マリアとイエス・キリストのコンビです。

 

応神天皇は応じるイエスの神で、王仁吉師(わにきし)の王仁(おうじん)の意味もあり、第15代天皇になります。

 

応神天皇から遡る神武天皇までの天皇は、学者からは明らかに実存が疑われる欠史八代(けっしはちだい)と呼ばれる八人の天皇を含む順番も疑わしい天皇が続く時代になっています。

 

この神功皇后と応神天皇のペアが八幡神と呼ばれ、鏡池など八咫鏡を連想させる天皇となっています。

 

おそらく、天武天皇の子孫が繁栄した奈良時代は、天武天皇が素戔嗚尊で八岐大蛇から櫛稲田姫(くしなだひめ)を救ったヒーローとして古事記が編纂され、天照大神を困らす傍若無人な凶暴な性格は後から付け加えられたものだと思います。

 

そうすると、神武天皇は文武天皇で、応神天皇が聖武天皇に当たるのだと思います。

 

そうすると、聖母マリアの神功皇后は誰なのかというと、聖武天皇の母の藤原宮子(ふじわらみやこ)が浮かび上がって来ます。

 

この藤原宮子は道成寺の髪長姫(かみながひめ)と呼ばれたラプンツェルで、髪が伸びるまでは坊主の海の底を潜る海女のリトルマーメイドのアリエルでした。

 

奈良の樒(しきみ)を意味する香芝市(かしばし)に志都美神社(しずみじんじゃ)という神社があって、今は清水神社(しずみじんじゃ)と書く事から、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)が、本当は「いわしずみはちまんぐう」と呼ぶ事が正解だと分かります。

 

志す都(みやこ)は美しいという意味は、藤原京から平城京、長岡京、平安京と都を次々と移動させて来た歴史を揶揄する意味と、藤原宮子の宮子(みやこ)を都(みやこ)と掛けているのだろうと思います。

 

神様の名前や地名に津(つ)という文字が含まれている場合、都(つ)と置き換えられるケースがほとんどで、どちらも藤原宮子の竜宮城の意味が隠されているのだと思います。

 

八幡神の神使はハトだとされるのはキリスト教の聖霊のシンボルという意味の「八十」(はと)と、耶蘇教(やそきょう)の「八十」(やそ)の両方の意味が含まれているようです。

 

神武天皇から応神天皇までの天皇は鏡の中の上下左右が反転した世界で、源氏が八幡神をシンボルとした理由は藤原北家が天皇家に生ませたのが清和天皇で、その子孫が源氏になるので、天武天皇の血が濃厚に入り込んでいるからです。

 

ただ、平安時代には神武天皇と崇神天皇が天武天皇と天智天皇のどちらに当て嵌めても矛盾がないように、その両方の母親である皇極天皇を再び持ち上げて外宮の豊受大神の布として藤原宮子を覆って隠してしまったのだと思います。

 

そして、推古天皇、持統天皇、皇極天皇の誰が婆さんで一番歳を取っていて偉いのかを比べないように紅葉の木を意味する伯耆(ほうき)の国の比婆山(ひばやま)に伊弉冉命(いざなみのみこと)を埋葬します。

 

吉祥天の母親で聖母マリアを意味するザクロが好きな鬼子母神(きしぼじん)です。

 

通常、吉祥天のシンボルのフクロウは中国では成長すると親を食べてしまう親不孝の鳥とされますが、鬼子母神は逆で親孝行の娘が母の医療費のお金を稼ぐ為にススキでミミズクを作って売るように夢で教えたとされる鬼の母です。

 

フクロウとミミズクの違いは、人の意見を聞く耳があるかないかです。

 

伯耆(ほうき)は魔女が乗る箒(ほうき)の事で、穢れを払う幣(ぬさ)を意味します。

 

「このたびは 幣(ぬさ)も取り敢(あ)へず 手向山(たむけやま) 紅葉(もみじ)の錦(にしき) 神のまにまに」

 

手向山は平城山(ならやま)の事で山の登りから降りに変わる峠で道祖神に手を合わせる風習を歌にしたもので、榊(さかき)の枝を自分の向きから神様の向きに反転させる鏡の儀式を手向(たむけ)と呼び、手向山八幡宮など、上下左右が反転する鏡を意味します。

 

「まにまに」は「御心のままに」と訳されますが、私は悪い癖で、直ぐに「摩尼間に」(まにまに)と漢字を入れてしまいます。

 

「摩尼」(まに)とは「勾玉」の事で、「間」(ま)とは「三つ巴紋」の中心を通る道で、「ここは何処の細道じゃ、天神様の細道じゃ」の「間」(ま)です。

 

「ここは冥府の細道じゃ、鬼人様の細道じゃ」は鬼子母神に神隠しに遭う子供を意味します。

 

鬼子母神はカーリーというマグダラのマリアを表していましたが、カトリックが悪魔にしただけでブッダが子供の肉の代わりにザクロを与えて聖母マリアと習合して善神になった鬼です。

 

日本では伊弉冉命(いざなみのみこと)が冥府の神で鬼子母神に当たるのだと思います。

 

細道は月夜(つきよ)の暗間(くらま)天狗(てんぐ)の「間」(ま)でもあります。

 

百済の王族の伊都内親王(いとないしんのう)が通り抜けて来た天武天皇の子孫の勾玉の穴を通って来た道で、蘇我倉山田石川麻呂を蟻(有)に見立てた蟻通神社(ありとおしじんじゃ)の玉の穴に通した有間(ありま)の糸の道です。

 

「このたびは」の「手向山」のこの歌は菅原道真が作者なので、イエス・キリストの血を引く蘇我倉山田石川麻呂の子孫で天神様の歌になります。

 

中国では紅葉の赤色は日本人の祖先である鬼の蚩尤(しゆう)の血の色で、日本人はその鬼の子孫だと言われます。

 

これは羊(日本で鹿)をトーテムとする百済が羌族(きょうぞく)の末裔だからで、天武天皇を意味する風神の龍田大社に紅葉の藤原鎌足の意味を被せたのも婚姻関係を結んで同族となった血を表しているのだと思います。

 

「生きは良い良い帰りは怖い」の意味は、禍福倚伏(かふくいふく)という老子(ろうし)の言葉で、禍(か)は福に倚(よ)りかかっていて、福は禍(か)に伏(ふ)しているという意味で、災いと幸福は切っても切り離せないという意味があるので、峠のように登りがあれば必ず降りがあり、生と死を表しているのだと思います。

 

「勝って兜(かぶと)の緒(お)を締めよ」と北条氏綱(ほうじょううじつな)が言ったように、戦争で有利な状況であっても後半戦に油断が生じるので初心に還って気を引き締めろという戒めの歌でもあると私は思います。

 

幸福の女神である吉祥天の姉が不吉祥天と呼ばれる災いの女神で、姉妹は切り離せず、「禍福は糾える縄の如し」とも日本では言われます。

 

この倚(よ)ると伏(ふ)すが「四二」(よふ)の第42代天皇の文武天皇(もんむてんのう)で月読命(つくよみのみこと)になるのだと思います。

 

読むという漢字は文字を見る事で、七夕に笹に吊るされた短冊に文字で願い事を書くのは、男女が恋文を月夜に交換して結ばれていたからで、天武天皇を彦星、持統天皇を織姫に見立てて、その孫の文武天皇が鵲(かささぎ)の文を表していたからだと思います。

 

「つくよみ」は「次四三」(つくよみ)で「四三」の手前の「四二」を表しているのだと思います。

 

しかし、元々は「つくよみ」ではなく「つきよみ」で第43代天皇の元明天皇(げんめいてんのう)が月を表していたのかもしれません。

 

持統天皇に続く月の女神で、二枚ある八咫鏡の二枚目の鏡だったのだと思います。

 

月が男神に変えられた理由は、天照大神を持統天皇にして月読命を天智天皇にしようとした藤原式家の狙いがあったのかもしれません。

 

最終的には天照大神が持統天皇、豊受大神が皇極天皇として、月読命の影が薄くなっていますが、勢至菩薩(せいしぼさつ)として蘇我倉山田石川麻呂の意味も被せたのだと思います。

 

月読命が文武天皇なら、天智天皇も蘇我倉山田石川麻呂も持統天皇も全ての血を引いているのでどれにでも対応出来る男子なので「つくよみ」にしたのだと私は思います。

 

藤原氏の歴史が書かれた藤氏家伝(とうしかでん)では、藤原鎌足の提案で蘇我倉山田石川麻呂の長女を中大兄皇子(天智天皇)に娶合わせる事になっていたのですが、蘇我日向(そがのひむか)に長女を奪われてしまったので、仕方なく次女と三女の遠智娘(おちのいらつめ)と姪娘(めいのいらつめ)を天智天皇に嫁がせたと書かれています。

 

おそらく、蘇我日向とは天武天皇の事で、その奪われた長女というのが乳娘(ちのいらつめ)で忍壁皇子の母で紀氏の生みの親だったのだと思います。

 

そして遠智娘が持統天皇を生み、姪娘が元明天皇を生み、長女である乳娘は有間皇子を生んだと嘘の記述が加えられて紀氏は武内宿禰の子孫にされたのだと思います。

 

有間皇子も武内宿禰も百済の王族で藤原鎌足を意味します。

 

そういう意味で、「十一」を考えるだけで色々と想像が膨らみます。

 

推古天皇は天細女命(あめのうずめのみこと)として、これも藤原鎌足の別名でもある猿田彦大神と夫婦になって伝統芸能を管理していきます。

 

吉備国の水巻神社は三つ巴を意味し、その中心地となります。

 

騎馬民族である突厥(とっけつ)の阿史那(あしな)氏族が装身具として身に着けていたオオカミの歯牙(しが)が勾玉の由来なのだと思います。

 

マグダラのマリアの居たアルメニアを含むトルコではトルコ人はアセナと呼ばれる雌オオカミの子孫だと言われます。

 

このアセナが阿史那氏族でソグド人(蘇我氏)やフェニキア人(秦氏)と摩尼教(まにきょう)で結び付いて日本に渡来したのだと思います。

 

摩尼教は弥勒菩薩(みろくぼさつ)という救世主を信仰するキリスト教と仏教の融合した混交宗教です。

 

トルコ人がオオカミをシンボルとした理由はヤコブの13人の子供の中で、ベニヤミン族のシンボルはオオカミで、マグダラのマリアがユダヤ人の最初の王サウルと同じベニヤミン族だったからだと私は思います。

 

ライオンをシンボルとするユダ族のダビデが王となれたのも母がベニヤミン族であったからです。

 

おそらく、騎馬民族はネストリウス派の景教徒(けいきょうと)を母に持つ氏族なのだと思います。

 

天照大神、豊受大神、猿田彦大神の三つの大神(おおかみ)はオオカミの事で、物部氏、蘇我氏、秦氏の三つの大神(おおみわ)を表し、三氏族が輪(和)になる事を表現しているようです。

 

推古天皇は大月氏の大宜津比売(おおげつひめ)として阿波国(あわのくに)を象徴しますが、風が海をかき回す鳴門(なると)の渦が日本の全ての始まりだという事です。

 

草薙剣の「剣」は「父」、八咫鏡の「鏡」は「母」、八尺瓊勾玉の「玉」は「子」を表しています。

 

なので、本来であれば天照大神と素戔嗚尊の誓約は「鏡」と「剣」で行われるなら分かるのですが、神話では「玉」と「剣」の交換でした。

 

この「玉」と「剣」の交換は「子」と「父」の交換です。

 

素戔嗚尊と大国主命の世代交代を表しているのか、神武天皇と崇神天皇の交換を表しているのか古事記編纂者の意図は不明です。

 

勾玉の形は胎児の姿だと言う人もいます。

 

精子が卵子と結ばれた後は胎児は進化の過程を順番に追っていくと言われます。

 

陰陽道で、ヤモリを重要視するのは胎児の姿がヤモリに似ていて、龍の子供と認識していたからかもしれません。

 

籠神社(このじんじゃ)は、オタマジャクシが成長して龍になるように「子」が成長して「父」になるという事なのかもしれませんが、饒速日命(にぎはやひのみこと)と市杵島姫(いちきしまひめ)は六芒星の穴が開いている籠(かご)の船に乗っているので、水に沈んでしまい竜宮城の石になってしまいます。

 

この籠の船は平家に勝利した藤原北家が後で付け足した物語なのかもしれません。

 

日本最古の系図を持つ海部氏(あまべし)は、亀に乗って竜宮城に行った倭宿禰命(やまとすくねのみこと)で、「倭の影」(やまとのかげ)が「山の常蔭」(やまのとかげ)の持統天皇を表しているのかもしれません。

 

火トカゲの王サラマンダーです。

 

錬金術(れんきんじゅつ)のパラケルススが「妖精の書」でサラマンダーに言及し、イタリアの彫金師チェリーニや、フリーメイソンでアイルランドの独立運動に参加したイェイツなどが火に燃えない「サラマンダーの皮」を見たと証言したとされ、これが「石綿」(アスベスト)だったとされています。

 

石は燃えないという事です。

 

中世ヨーロッパでは、錬金術は黄金を生み出す魔術だと思われていましたが、現代ではこれを科学と呼んで様々な恩恵を受けています。

 

ニュートンがフリーメイソンの会員で錬金術を研究していた事は周知の事実です。

 

この万有引力の法則を見付けた逸話に登場する「リンゴ」ですが、旧約聖書ではアダムとイヴのイヴを蛇がそそのかして食べるように仕向けた「知恵の実」だとも言われます。

 

万有引力の発見によって地動説でも飛ばされない理由が分かり、天動説を支持するカトリックと地動説を支持する学者の争いにピリオドが打たれました。

 

奈良の「奈」(な)という漢字は「リンゴ」という意味で、「リンゴが良い」という失楽園の意味があるようです。

 

天国の楽園は不老不死ですが、失楽園は神に背いた罰として死があります。

 

日本人は不老不死を岩、死を桜で表しました。

 

桜は夏には散ってしまいますが、春にはまた花を咲かせます。

 

この四季の循環を人の一生に例えて、親から子へ受け継がれる事で命は永遠に続くという事にしたようです。

 

イエス・キリストは十字架に掛かる事で、この失楽園の罪を肩代わりして帳消しにしてくれたので、イエス・キリストを信じて悔い改めれば死んだ時に天国に戻れると言うのがキリスト教です。

 

カトリックでは免罪符を買ってお金を払えば天国に行けるとお金儲けに走ったので、ドイツでルターの宗教改革が起こりプロテスタントが生れます。

 

プロテスタントとはプロテストの抗議(こうぎ)を行う者という意味です。

 

フランスではカトリックとプロテスタントが8回も40年にもわたってユグノー戦争という宗教戦争が繰り広げられ、両者約3000人の屍(しかばね)の山を築き、サンバルテルミの虐殺では約4000人のプロテスタント信者がカトリック信者に殺されます。

 

ドイツの三十年戦争はユグノー戦争を上回る規模でカトリックの国とプロテスタントの国を巻き込んで国際戦争に発展し、ドイツの人口の約三分の一(約600万人)が消失した戦争だと言われています。

 

イギリスの英国国教会では一応はプロテスタントを支持していたにもかかわらずカトリックにも寛容でどちらつかずだったので、もっと清くをスローガンにピューリタン(潔癖)革命が起こり、迫害から逃れる為にイギリスの植民地のアメリカに逃げてアメリカ独立戦争へと繋がっていきます。

 

カトリックが勢力回復の為にイエズス会を組織してアジアに信者と富を得る為に航海に出ます。

 

日本にもフランシスコ・ザビエルがやって来て、織田信長に接近して仏教徒の排斥を煽りますが、日本も戦国時代で誰が天下を取るか分からない状況でした。

 

しかし、豊臣秀吉の時代になると日本の植民地支配がイエズス会の本当の目的だと気が付いてキリスト教を禁止します。

 

そして徳川家康もキリスト教の禁止を強めて踏み絵までさせて隠れキリシタンを洗い出し、鎖国を始めて長崎の出島でプロテスタントのオランダ(紅毛人)とだけ貿易を始めます。

 

かなり脱線しましたが、これだけの死者数を出した宗教戦争の原因にもなるのでルターがフリーメイソンであったとしても語られる事はないものだと思いますが、誰が一番得をしたのかと考えると可能性としては十分にあり得る話だと私は思います。

 

剣を持つ者は剣によって滅びるで宗教改革の影で活版印刷が生れて大量印刷が可能になり、ペンは剣よりも強しと聖書が教会だけのものから庶民のものへと移り変わり、「四十二行聖書」がプロテスタントにより発行される事になります。

 

私流に言うと「月読聖書」(つくよみせいしょ)です。

 

人に聞かせる為に朗読するのではなく、自分の目で見る「口無しの聖書」です。

 

印刷物は原稿から生まれるので、再生、復活を表すようです。

 

活字合金の鋳造(ちゅうぞう)には錬金術の技術が活かされて、グーテンベルクが活版印刷を発明した時代には黒魔術と呼ばれたそうです。

 

当時のヨーロッパの活版印刷業者が火災から紙を守る為に火伏せの神としてサラマンダーを信仰していたというのも偶然ではないようです。

 

サラマンダーは火を食べると言われていて「火喰いトカゲ」の異名もあり、「火伏せの神」とも称されます。

 

錬金術で一番重要なのが「火」で、そこから信仰されるようになったようです。

 

赤い水銀の「辰砂」(しんしゃ)が「賢者(けんじゃ)の石」と呼ばれたのも、科学で不老不死の薬を造り出そうと試みられたからです。

 

日本の「火トカゲ」の正体は迦具土神(かぐつちのかみ)で荒神(こうじん)とも呼ばれ、少彦名神(すくなひこなのかみ)という異名もあり、医学の神様とされます。

 

天香久山(あまのかぐやま)の迦具土神(かぐつちのかみ)が魔法使いのペンの神様だという事です。

 

大物主命と天照大神の橋渡しをした神様で「三輪そうめん」の神様でもあります。

 

七夕に「そうめん」を食べるのも、織姫の糸を表しているからだと言われます。

 

フランドルの画家ブリューゲルの「絞首台のカササギ」という絵があります。

 

ヨーロッパでは鵲(かささぎ)は魔女の使いとされ、ここで描かれる絞首台は処刑されたプロテスタントを意味するようです。

 

日本が鎖国を解いて世界と繋がる橋渡しをしたのがアメリカの黒船で、天の川のカササギになります。

 

黒船が日本に立ち寄ったのは鯨漁の帰りで、燃料と食料の補給が目的だったとも言われています。

 

子供の頃にキリスト教でもない日本がなんでキリスト教国家のG7に入れてもらえているのかが不思議でなりませんでした。

 

先進国という建前でしたが、差別意識が強い白人がアジア人を仲間にしている事自体が異常です。

 

過去の事になりますが、同盟など何処の国とも組んだ事のなかった孤高の国のイギリスとの日英同盟が原因としてあるのかもしれませんが、その同盟自体が異常です。

 

そしてあれだけアーリア人の優位を強調するヒットラー率いるドイツとファシズムのムッソリーニ率いるイタリアとの三国同盟も異常です。

 

日本はこの戦争を白人の支配からアジア人を開放する戦争で大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)という理想を掲げてドイツとイタリアとの同盟はその手段だと認識していました。

 

白人に植民地支配されない為にアジアのリーダーになろうとしましたが、それを口実に侵略戦争を始めたというのが中国や韓国の理解です。

 

何故、そうなるのかというと中国は侵略戦争をしたい国なので自分の利益にならない事は他の国もするはずはないという発想だと思います。

 

韓国は恨みの国で被害妄想が酷く、白村江の戦いや元寇で日本に戦争を仕掛けて来た自分達の歴史や、ベトナム戦争でベトナム人女性に行った性的暴行のライダイハンなど、自分たちが加害者であった歴史には目を向けず、ひたすら被害だけを強調するのも相手の立場が考えられない性格だからだと思います。

 

日本人は自己中心的な考えは良くない事だと反省しますが、韓国は共産主義の全教祖

が、中国は江沢民が国内の不満を国外に向ける目的で反日教育を進めていたので教育の違いかもしれません。

 

日本も世界大戦となって段々と規模が膨らんで矛盾が浮き彫りとなっていったのも事実だと思います。

 

組織が大きくなればなるほど、色んな人間の思惑を内包するようになり、歴史が独り歩きするようになります。

 

原爆が落とされた事は激痛を伴いましたが、夢から醒める切っ掛けになったのかもしれません。

 

東京裁判でインドのパール判事は日本人の軍部関係者の全員無罪を主張して、日本の立場を理解してくれていました。

 

自国の利益だけしか見ずに日本を批判する中国や韓国と、どうしても比較してしまいます。

 

話を戻しますが、江戸時代に鎖国をした事で日本はカトリックを排除した国としてプロテスタントの国からは認識されていたのかもしれません。

 

実際、イエズス会は日本を征服が難しい国だと判断して先に中国を征服しようと作戦を変更しました。

 

七(な)という数字はマグダラのマリアの数字になります。

 

奈良の読み方の「なら」の意味は「楢」(なら)の木で、イエス・キリストの血の葡萄酒を入れる「樽」(たる)になる材料で「聖杯」を意味します。

 

「樫」(かし)と「柏」(かしわ)は常緑樹(じょうりょくじゅ)で天武天皇と藤原鎌足を意味し、落葉樹(らくようじゅ)の「楢」は天落神六社権現(あまのおちがみろくしゃごんげん)の持統天皇で区別されているのですが、ヨーロッパでは三つの木は全て「オーク」で、木材の見た目で柏は赤いので「レッドオーク」と言ったりする程度で特に区別はありません。

 

「樫」は非常に珍しく、ほとんどの森が落葉樹の「楢」が多いので、「オーク」と言えば「楢」が一般的のようです。

 

かぐや姫は、阿倍御主人(あべのみうし)に「火鼠の皮衣」(ひねずみのかわごろも)を結婚の条件として求め、阿倍御主人は小野房守(おののふさもり)に頼んで唐からこれを取り寄せますが火にくべると燃えて偽物だと分かり、かぐや姫と結婚は出来ませんでした。

 

「火鼠の皮衣」も、正体は「石綿」だったとも言われています。

 

この小野房守は創作された実在しない人物であろうと言われていますが、小野と付くので小野小町や小野篁などと同じく小野妹子の子孫を意味するのだと思います。

 

「山城の 石(いは)田の小野は ははそ原 見つつや君が 山路(じ)こゆらん」

 

藤原式家の祖である藤原宇合(ふじわらうまかい)が、小野小町のお寺のある随心院(ずいしんいん)の地名の小野を歌ったもので、「柞」(ははそ)が小野小町を表している事が分かります。

 

「柞」(ははそ)とは「小楢」(コナラ)の事で小さな「楢」(ナラ)の木で小野小が子供(子孫)という意味だと思います。

 

誰の子供かというと天照大神である「聖杯」の「楢」の子供です。

 

また、「柞」は他の歌に登場する場合、「コナラ」とは種類の違う「クヌギ」や「ミズナラ」の意味も含んでいると言われます。

 

「クヌギ」は神功皇后に謀反を起こしたとされる「麛坂王」(かごさかおう)がイノシシに襲われて登って倒されて死んだ木で、「ミズナラ」の方は、おそらく神功皇后に謀反を起こして水に入って亡くなった忍熊王(おしくまおう)を表していて、麛坂王は小野篁として天武天皇、忍熊王は小野小町として持統天皇として、神功皇后が皇極天皇を表す小野妹子の子孫として一本化された事を表しているのだろうと思います。

 

小野妹子の母親は葛城氏で、そのことが大和朝廷に仕える事の出来た一因だとも言われていますが、それは後から付け足した系図で、剃髪した頭に「かつら」を後から持って来て被せたようなものだと私は思います。

 

「葛城」(かつらぎ)は「桂木」(かつらぎ)で皇極天皇を意味しますが、推古天皇の「金木犀」、持統天皇の「月桂樹」の意味もあり、平家(藤原式家)の九頭龍大神の「葛」(くず)や、楠木正成の「樟」(くすのき)、そして、藤原氏の「葛」(ふじ)の意味もあって広範囲の意味が含まれています。

 

だけど、その本当の意味はイエス・キリストの血の後継者、葡萄のツタの甘葛煎(あまあづらせん)です。

 

金毘羅さんは、紀氏を葛城氏に嫁がせた宝船なので、七福神みんなの乗り物として「上」(かみ)になったのだと思います。

 

この阿倍御主人の子孫が安倍益材(あべのますき)で、浄瑠璃(じょうるり)などの物語では安倍保名(あべのやすな)と呼ばれ、安倍晴明(あべのせいめい)の父親になります。

 

安倍晴明の母親は御存知の「葛の葉」(くずのは)というお稲荷さん(皇極天皇)で、陰陽道(おんみょうどう)の代名詞となり、室町時代には土御門家(つちみかどけ)を名乗るようになります。

 

葡萄の葉っぱも「裏見葛の葉」(うらみくずのは)で裏側は繊毛で白くなっています。

 

「楢」(なら)が推古天皇から持統天皇、そして皇極天皇に移り変わったという事です。

 

天照大神と素戔嗚尊の子である宗像三女神を祀る宗像大社(むなかたたいしゃ)の神紋は「楢」(なら)の木で、「三つの葉っぱ」と「五つのドングリ」が描かれた木になります。

 

おそらく、この「三つの葉っぱ」が「宗像三女神」をあらわしているのだろうと思います。

 

葉っぱは「葉隠れ」で「伊賀」、「甲賀」、「佐賀」の忍者となり、人々の中に溶け込んで姿を見せなくなります。

 

トカゲの仲間で、擬態(ぎたい)が上手なラプンツェルのカメレオンです。

 

髪長姫(かみながひめ)の藤原宮子(ふじわらみやこ)の子孫です。

 

藤原宮子は皇后宮の中でずっと生活をしていて人と会う事はほとんどなく精神を病んでいたので唐より帰国した玄昉(げんぼう)が看病して病気を治したと言われます。

 

この皇后宮が何処にあったのかは不明ですが、法華寺の北東に位置する海龍王寺(かいりゅうおうじ)が皇后宮のあった場所ではないかと言われています。

 

「宮子」(みやこ)は「都」(みやこ)で、「忍者」は「都」(と)の影の「都影」(とかげ)になります。

 

持統天皇を表す「御影」(みかげ)は墓石の「御影石」(みかげいし)となって死者の魂の依り代となります。

 

志す都は美しい「志都美」(しずみ)が「清水」(しずみ)になり、「石清水八幡宮」(いわしずみはちまんぐう)になります。

 

石清水八幡宮の神紋が「三つ巴紋」なのも応神天皇がカササギで「月読命」だったからだと思います。

 

「天照大神」が織姫で太陽、「素戔嗚尊」が彦星で星なので地球として、「月読命」が仲介役の意味があったのだと思います。

 

奈良時代には応神天皇は文武天皇、その子供の仁徳天皇が聖武天皇で、金星(五芒星)の虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を表していたのだと思います。

 

天照大神の首飾りの「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)はシルクロードの交易品として世界中に広まった「摩尼宝珠」(まにほうじゅ)で、輪廻転生する「魂」の象徴だったのだと私は思います。